暴力、ディストピア。映画『時計じかけのオレンジ』を観た
※ぼんやりとしたネタバレがあります。
何かと「すごい映画」みたいな感じで挙げられがちな『時計じかけのオレンジ』を鑑賞してみました。
すごい映画でした。
それほど映画を観てきたわけでもない私が端的に、頭を使わず感想を述べると、
頭おかしいのかな?
という感じ。
知的でイッちゃってる感じのキャラクターって結構好きなんですが、にしてもR指定入っているだけあってなかなかえげつない。
怪しいミルクでキメて、暴力、強姦三昧、、、
あと変にアーティスティックだし。 あとベートーベン。
監督は鬼才と名高いスタンリー・キューブリック。
原作はアンソニー・バージェスというイギリスの作家の小説だそうです。
一応<近未来のロンドン>が舞台ということで、SFのくくりなんだそうですが、わたし的には、一昔か二昔ぐらい前の若者、ひいては当時の社会を風刺しているのかな、と思いました。(映画の公開は1971年)
暴力とか、犯罪者への非人道的な心理療法とか、あと主人公の変な魅力とか、そういうところに目が行きがちなんですが(そこも見応えがある)、もっと全体像を見てみると、政治と権力のシーソーゲームが垣間見えて、結局ね、こういうことを繰り返して人類は繁栄してきたのだなと、虚しい気持ちになりました。
主人公は利用されるんですよ。政治と権力のために。
アレックスみたいに、正しい道から外れた人間なんて、ちょうどいいモルモット的な感じだったのかなあと思います。
何か一つの体制が整うには、密かに犠牲が伴っていて、要は科学と同じように体制も、実験と失敗の繰り返し、密かな犠牲と無駄のもとに成り立っていると、そういうことではないでしょうか。
結局何も変わらない終わりで、一連のこと全部なんだったのだろう感。
医療も同じですよね。数々の非人道的な医療行為があって、地位とか名誉とか権力とも絡み合って、賞賛されたり非難されたりしながらここまで来たわけで。
人はとかく体裁を整え続けるし、それを発展や進化と呼ぶのかもしれません。
なんなのでしょうね。これは一体。
と、哲学的な問いかけっぽく終わってみます。
では。