嫉妬心と「大いなる何か」
世の中、ありとあらゆるタイプの嫉妬が渦巻いていますね。
生い立ちや育ちの良し悪し、所持しているモノ、暮らしの豊かさ、若さ、美しさ、お金、知識、どんな人と付き合っているか、どんな崇高な人々と付き合ってきたか(父親は母親は親戚は友人は)、どんな高尚な体験をしてきたか、etc.
多かれ少なかれ、人は様々な点で他人に勝りたいと思っている。
四半世紀ぐらい生きてきての見解としては、特に女性がより顕著に嫉妬心が表面化しやすい気がしています。
かく言う私も、油断すると嫉妬にかられ、物をぶん投げたいような埋まりたいような死にたいような生きたいような気持ちになることがあります。
嫌な感情ですね。
嫉妬をしないタイプの人って、自分に自信がある人だとずっと思ってました。
でも最近ちょっと見方が変わってきて、自分の中に「大いなる何か」がある人は、嫉妬なんてできようもないっていうことなんじゃないかなあと思うようになりました。
では「大いなる何か」とは何か?
(胡散臭い感じになってしまった)
漠然とした表現ですけど、でも本当になんてもいいんだろうと思います。
目標でも、尊敬する人でも、最愛の人でも、母なる大地への感謝でも、宇宙の広がりでも、涅槃でも。
その人の中で、「ああこの勝ち負けなんて取るに足らないことだ」「あらゆることが取るに足りない」ぐらいに思える何かがあれば。
何を目指して生きるのか、何を信じて生きるのか。
宗教めいてきてしまいましたが。
でも「大いなる何か」を自分で見つけられない人が宗教に傾倒していくのかもしれませんね。
- 作者: 筒井康隆
- 出版社/メーカー: 新潮社
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「…旅の目的はなんであってもよかったのかもしれない。たとえ死であってもだ。人生と同じようにね」(p249)